Weekly Column 2003. 10
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10月23日 (木)   自由貿易協定

FTA、最近新聞見出しでよく目にする文字ですが、包括的自由貿易協定の略だそうです。折りしも過日、日本貿易振興機構(ジェトロ)に勤務する友人から転勤の知らせが届きました。勤務地は3年ぶりに再びメキシコ。何度目かの中南米勤務です。その中にFTAの文字が躍っていました。メキシコはFTA大国。思えば世界貿易拡大の基盤も大きく変わりました。国同士の経済関係を左右する枠組みの構築に取り組む、これぞ男の浪漫と意気盛んな彼の顔が浮かんできます。
(Y.H)


10月7日 (火)   紙と電子

電子申告が平成16年導入される。ところで電子申告をするには、「紙」の届出書を提出することから始まる。ここにも情報化を進めるため紙を必要とする奇妙な現実がある。
情報化を進めようとすると常にぶつかる課題は、「紙」である。
何となく危うげに感じられる電子情報より、目に見える紙の安心感。これは確かに捨てがたい。知覚できない不安感は大きい。
また紙上でなされている様々な行為を電子上で実現することに対する心理的抵抗もある。
例えば押印。最後に押印することで何かしらの安心感とか、形式美のようなものを無意識に感じてしまう。
何れにせよこれが紙の文化だ。情報化とは千年の単位で慣れ親しんだ紙の文化に対する電子の文化の挑戦なのだ。
(Y.H)


10月1日 (水)   年金改革

自民党総裁選を期に、年金改革論議がかまびすしい。厚生労働省と財務省がそれぞれ案を出してきて、将来の年金受給権者としては気になるところ。
いずれにせよ負担が増えるか、受給が減るか、或いはその双方か、好ましい方向でないことは確か。
ある候補が「将来の受給を国民との契約にしよう」と訴えていて、ふと気になりました。あれ?今強制的に徴収されている掛け金は契約ではなかったの?
かつて社会保険労務士さんが年金は間違いなく支給される、何故なら「受給権」があるのだから、と言われてました。
確かに。でも受給権はあるかもしれないが、受給額は約束されていない、そういうことなんでしょうか。
(Y.H)